生きる力 〜 注57

公開: 2020年5月16日

更新: 2020年5月16日

注57. 尊王攘夷思想と長州

江戸時代の長州は、現在の山口県に当たります。戦国時代の大名、毛利氏が城主でした。毛利氏は、関ヶ原の戦いで、豊臣方についたため、戦いに負けた後、徳川幕府によって現在の広島から山口へ移されました。

幕末になって、長州藩の人々は、幕府が国の政治を行うのではなく、天皇が政治を行うべきであると考えるようになりました。また。幕府が米国の圧力に屈して、日本を開国させようとしていたのに対して、長州の人々は、日本は独自の文化を守るために、鎖国を維持すべきであると主張しました。その主張が、「尊王攘夷(そんのうじょうい)」です。

鎖国を維持すべきだと考えた理由の一つは、当時の天皇が「開国に反対していた」からです。もう一つは、開国によって、外国から疫病(えきびょう)が日本に持ち込まれ、数多くの死者が出ていたからとも言われています。

長州藩は、日本を守ろうと、関門海峡を通過しようとしたイギリスの艦隊を砲撃しました。しかし、イギリス海軍だけでく、ヨーロッパ諸国の海軍で作られた艦隊の反撃を受け、長州軍は大敗しました。この敗戦で、長州の攘夷運動は、下火になりました。

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